いつも性育アカデミー協会のブログをご覧いただき、ありがとうございます。
こちら(↓)の記事でお話したように、性にタブー感を持っていると、性教育をすることが「怖い」と思うようになります。
では、性のブロックがない状態というのは、どういう状態をいうのでしょうか?
今日は、このあたりのことをお話したいと思います。
テーマは「『性のブロックがない』のと、『色っぽくある』ことや『性の話で盛り上がることができる』は違う」です。
あなたの考え方のヒントになれば幸いです。
「性」を気にしない
では、「性のブロックがない」状態というのは、どういう状態をいうのでしょうか?
気にしない
家庭の中で「性」の話ができ、お父さんとお母さんは仲良しで、セックスのことも下品にならずに真剣に語ることができ、そうして、お母さんも女として楽しんでいる。
人生を楽しく、自分らしく個性を発揮して生きている
自分の尊厳を守り表現することが、あたりまえにできる
もちろん、「NO」もいえる
「性のブロックがない」というのはこのような状況であるため、性教育も生活の中にあるでしょう。
ことさらに「性」に対する問題意識も無いし
わざわざ色っぽく振る舞わなくても、いるだけでセクシーであり
TPOをわきまえ、セクシーなドレスもジャケットスーツも選べ、Tシャツにジーンズも映える
そう。ふつうなのです。
たとえば、お金もちは、お金が欲しいも、ことさら、お金が「ある!」ともいいません。
お金が「ない」という概念がなく、あたりまえにお金があり、自由にどこへでもいき、好きな人とだけ過ごす……
これと同じように、「性」にタブーがないというのは、そもそも、タブーがあることを解りません。
「女であってはいけない」というタブーが「性」を歪曲し人を遠ざける
・両親が「男の子」を望んでいた
・「男の子だったらよかったのに」といわれていた
・男の兄弟ばっかりかわいがられていた
・男の子のように育てられた
・性暴力の被害にあったことがある
このような経験から生まれることが多くあります。
そして、この「女であってはいけない」というタブーがあると、女の子らしく振る舞う事を一切やめてしまうのです。
身体の線の出ない服をいつも選んでしまう
性の話も一切しない
メイクもしないし、おしゃれもしない
異性と付き合ったことがない
こういう状況は分かりやすいです。
けれども、「女であってはいけない」と思ってしまう度合いだけ、そこを隠すように、ことさらに女性らしさをアピールする、という「解りにくいケース」もあります。
「性に奔放である」ことと、「性のブロックがない」は、違う
女性の場合であれば、ことさら、女性らしいセクシーなお洋服を着たり、エロティックな話題を会話の中心にもってきたり……
性に対して奔放であったり、(承認欲求を満たすためやお金のために)性のお仕事をしていたり、という場合がよくあります。
自信の無い自分を隠す為に、見た目や振る舞いを、「女らしく」する必要がある、ということです。
もちろん、それが「悪い」わけではないのです。
ただこういう場合に、性に対してのタブー感を持っていて「自分が女であることを否定している」場合が深層心理的に多く見受けられるのです。
異性から近づいてこられると怖いので、逆説的ですが、「浅い関係」で終わるゆきづりの恋だったり、恋愛対象を何人も作ったりと、深い関係性を作ることが難しくなってしまう。
セラピーの現場で、このような事例にいくつもあいました。
つまり、なにをお伝えしたいのかというと……
そもそも「性のブロック」がなければ、人と親密な関係を築くことに躊躇をしません。
異性との深い関係性を築きながら、しあわせなパートナーシップを結んでいくのです。
性に奔放であっても自由そうに見えても、しあわせなパートナーシップは結べないことは、往々にしてあるということです。
しあわせなパートナーシップというのは、人に近づくこと。
誰かと親密な関係を作りたいと思うなら、「わざわざ」も「ことさら」も必要ありません。
飾らず、虚勢を張らず、ただ、あるがままに、人に近づくこと。
それを、「性にブロックがない」というのです。
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