いつも性育アカデミー協会のブログをご覧いただき、ありがとうございます。
性育アカデミー協会の前進の協会からこれまで、理事長として活動をしてきた3年の間に、子育てやパートナーシップのお悩みに、セックスから仕事のお悩みまで、多岐にわたるお悩みを頂戴する機会が増えました。
子どもがかわいいと思えない
旦那さんに愛されたい
セックスが気持ち悪い
職場の人間関係が辛い
稼ぐことができない ……
お客様とともにそのお悩みへ向き合いつつ、それぞれのお悩みが「性」と関わることについて、また、「性」を大切にするとはどういうことかを、どのようにお伝えすると分かりやすいのか、いつも考えておりました。
職場や仕事、お金に対するお悩みも、一見すると「性」とは関係のないものだと思われてしまうでしょう。
けれども、そこにも「性」への課題を垣間見ることができます。
それはなぜか……
「性」とは、人との関係のなかで育まれる個人の尊厳だからです。
さて今日は、「性」を大切にする<3つの柱>のうち、根となる「自分と仲良く」についてお話したいと思います。
あなたの考え方のヒントになれば幸いです。
「性」とは個人の尊厳である
けれども、私たちが捉える「性」は、世間一般的に捉えられる「セックス」や「性交渉」を解釈をするのではありません。
「性」とは、人との関係のなかで育まれる個人の尊厳です。
この「性」には、3つの大切な柱があります。
*自分と仲良
*人と仲良
*尊厳を護る(NOといえるようになる)
なかでも根の部分となるのが、「自分と仲良く」です。
「自分と仲良く」ができないと、人と仲良くすることもできません。
ましてや、「NO」を表現することはとても難しくなります。
「自分と仲良く」ができないと、自分の尊厳すら護ることができないのです。
もちろん、相手の尊厳も護ることはできません。
「自分と仲良く」とは?
わたしは悪い子だ
わたしは生まれてはいけなかったんだ
わたしはお母さんに迷惑ばかりをかけている
わたしはダメな子だ
わたしは……
お母さんやお父さんが悪いのではないのです。
ただ、親と共同創造してきた「関係」がこじれているだけなのです。
けれども、この「関係性のこじれ」から育ってしまう「わたしは悪い子だ」などという間違った思い込みは、自分の気持ちにブレーキをかけてしまいます。
以前、このようなメッセージをいただきました。
愛着障害 と言う言葉もありますが親子関係は想像以上に大切だし、性も本能。
患者さん同士の恋愛、性的トラブルも多くて、性の取り扱いを間違えると大変なことになる、とは日々実感しています。
恋愛もある意味依存できる相手探し。
親の代わりに甘えられる誰かを探しているような患者さんが大勢います。
そしてそこに、幸福な結末は無い。
わけのわからない生き辛さを自分も長年、抱えていましたが精神科に勤務し始めて解消しました。
こんな思考パターンを続けていたらこんなふうになってしまう!と。
患者さん達が自分の先生でした。
病んでしまい社会に適応できなくなった人を見たとき、気づくことがたくさんありました。
みっちさんの発信していること、間違いはないと思います、いえ、間違ってないです。
病院にはその証拠がたくさんあります。
これからもブログ等、楽しみにしています。
親の代わりに甘えられる誰かを探したり、依存できる誰かを恋愛対象にする、などということはまさに、親子関係のこじれを引きずっている場合が多いです。
ただし、「自分と仲良くなる」ということは、「誰かに甘えない」ということではありません。
「自分と仲良くなる」ということは、自分が人生の主人公であるということを自覚して生きる、ということ。
「自分と仲良くなる」ということは、自分で自分の人生を取り戻して生きることなのです。
そして、そこに欠かせないのが性を育てる(性育)です。
では「性を育てる」とはどいうことでしょうか?
それは……
いのちの育ちを、守ること。
つまり、<あなたがあなたらしくしあわせになろうとする「いのち」を守ること>です。
性を育て、自己信頼を取り戻す
一方で「性を否定する」とは、自分自身の「いのち」を否定することです。
これは、自分がしあわせになろうとすることを拒否する、ことと同じです。
では、自分自身の「いのち」を否定し続けるとどうなるでしょう?
自分のいのちに心許ないがゆえに、誰かに(なにかに)依存しないと生きられなくなる。
自分のいのちを否定し続けると、他に依存しなければ生きられなくなります。
「しあわせになる!」という自分の人生に責任を持つことが怖いから。
これはつまり、自己信頼が持てていない状態です。
自分を信頼することができないから他に迎合する……「他に依存する」の構図です。
うまくいかなければ、誰かのせいにすればいい
誰かが「それがいい」というからそうしただけ
わたしは言われたことをしただけでなにも悪くない
そういいながら、自分の人生から逃げてしまうのです。
このような誰かへの(なにかへの)依存には、「つながる」という関係は成り立ちません。
「つながる」には、常に自分と他が対等の関係にあるからです。
対等な関係とはつまり、「わたし」と「他」の間に健全な境界線が育っている状態です。
けれども依存の関係では、「わたし」と「他」の境界が曖昧です。
「わたし」は「あなた」となり、「あなた」を「わたし」にしてしまうのです。
依存の関係には「つながり」がありません。
ですから……
男性とつながることができないから、パートナーシップはこじれるでしょう。
世界とつながることができないから、お金を稼ぐことはできないでしょう。
そして自分を否定しているわけですから、自分から生まれた子どもをかわいいとは思えないのです。
「自分と仲良く」のための第一歩
どんな自分がいようとも、そこにどんな感情が現れようとも、認めて大切にすることができるようになるから、「自分と仲良く」なれるのです。
そうして、自己信頼も取り戻していくのです。
そのための第一歩として……
「わたし」と「他」に境界線を引くことから始めてください。
「わたし」は「わたし」のままで、他の誰にもなることはできません。
他のひとの意見は、そのひとのものです。
たとえ親の意見であっても、それは親のものであり、「わたし」の意見にはなりません。
それはあなたの意見です。わたしの意見ではありません。
そう口に出してみてください。
これが、「わたし」と「他」に境界線を引くということです。
このような健全な境界線を引いていくことが、「自分と仲良く」のための第一歩です。
そしてこの一歩は、自分の幸せへの歩みの始まりと、なります。
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