いつも性育アカデミー協会のブログをご覧いただき、ありがとうございます。
この活動を続けていると、「性教育は大事だと想う」と話してくださる方とたくさん出会うことができます。
一方で、大事だと思って居るけれど「わたしには無理」「え……誰かやってくれないかな?」というお言葉も、良く聞くのも事実です。
そこで今日は、性教育は大切だと解っているけれど、なぜできないのか? についてお話したいと思います。
あなたの考え方のヒントになれば幸いです。
「性」というタブー感
「性」というものには、「タブー感」がつきまといます。
このタブー感のもとは、「両親」の価値観が影響しているケースがほとんどです。
たとえば
両親が性を否定している
女性である事を否定しているお母さんに育てられた
人生を楽しんではいけないという両親に育てられた
というのが、おおよその大半といってもいいと思います。
このような状況にあると、大人になっても「自分がやりたいこと」や「夢」よりも、両親から影響を受けた「性の否定」「女性であることを否定」「人生は楽しんではいけない」という刷り込みを大事にしたり、「みんながいう常識」を大事にすることがあります。
そうして無意識のうちに刷り込まれた心のブレーキが、「知識は知っていても、できない」のもとになっていることが多いのです。
反社会的なことをするといい、といっているわけではありません。
ただ……成熟した大人になりませんか? ということを、お伝えしたいのです。
自分の軸で生きる「成熟した大人」とは?
これは、ともすれば……
親の価値観=タブーを越えていくことです。
性教育は、怖いものです。
なぜなら、成熟した大人であることを要求されるから。
これまでタブー視していた「性」を自ら学び子どもに伝えていこうというのは、小さいころから養われた価値観を越える、ということにもなります。
それはつまり、親の価値観を越え、自分の軸でいきるということです。
これまでの価値観を見直し、自分の軸として立て直す。
これまでのタブーを越え、自分を確立する。
そうして自分のやりたいことを思う存分やりきり、女性(男性)であることを謳歌し、人生を楽しむことが、成熟した大人であるからです。
今の価値観を越えていく勇気を
性教育は大事、だから、自分も成熟した女性として生きたい! そんな勇気も、性教育を子どもたちに伝えるには必要なのだと思います。
子どもには、人生を楽しんでほしい、しあわせになってほしい。
子どもには、しあわせな家庭生活を送って欲しい。
このような気持ち=夢があるならば、
「怖い」よりその気持ちを優先し、「常識」よりその夢を重んじてほしいと思います。
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